笹を考える(2)

Feb 2, 2009


→前項目の『笹を考える(1)』から続いております。
    
         
■香りのフィルター
     
『空気のフィルター的な役割をする香りとは何か?』
梅、紫蘇、こういったものは、フィルター的な役割をこなしてくれる存在だと私は解釈しています。
向こうから吹いてくる風をそのまま受けるより、そのものを通じて(梅や紫蘇ごしに)風を受けるほうが清らかな空気になって気分が良い、すなわちフィルターです。
    
食べ物の味も同様で、インスタント食品のように不透明な味でも、梅干とか紫蘇をほんの少しあしらうと、風味が澄んできます。これもフィルターなのです。
     
お香の世界で有名な伽羅とか、なかなかお目にかかれない高価なものもございます…。
      
日本では、
「香りを付着させる」「におわせる」という行為よりも、
「その場を清める」「浄化する」といったような、背筋を正して事にあたる態度を重んじる価値観が強いと思います。したがって、それに付随した香りが好まれやすい傾向にあるのではないかと、私は思うのです。
「日本人は、ほのかな香りが好き」とはよく言われることですが、私は、それよりも、フィルターを欲しているのだろうと解釈します。清らかな気持ちになりたい欲が強いのでしょう。

■そして笹・・・
   
笹も、フィルターの一つです。
       
新しい畳の香りが好きな方は少なくないと思います。笹の香りにも、そういった気持ちが澄むようなところがあります。そして、笹の香りの、ほのかに甘いところは遊び心だと思ってください☆ご愛嬌。そこに夢が宿っているのです。(笑
    
海外名産の、強い花の香りは華やかでエネルギッシュな存在ですが、上記の解釈でいくと、フィルターではなく「重ね塗り」状態になってしまうので(空気に空気が積もって押し出す感じ?(笑)、人によっては強い花香を好ましく思わない方もいらっしゃると思います。
どのような香りが選ばれるかは、人それぞれの価値観と、そして、その時のその人の心身の状態によっても選ばれる香りは違ったものになります。人々の気持ちに幅広く対応できる香りづくりがなされれば良いと思います。



笹を考える(1)

Feb 2, 2009


「さささ…」と音がします。なに???
    
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この人は手に何かを持っています。
近づいて見てみましょう。

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笹ですね!!
   
というわけで・・・
   
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笹の魅力について考えてみました。
    
■『ささ』の付く語といえば、
   
ささやか、ささやく(囁く、「ささめく」とも)、さざなみ、ささい(些細)、さざれ石、ささめ雪、
→あと、よかったらこれも仲間に…『ささもと』(笑)私の姓でございます。
     
「ささ」と付く語には、わずかなもの、しずかな音、細小のものをいう言葉が多いようです。
「ささやく」などは、人間の耳で聴き取れるかわからないほど、かすかな音ゆえに、神のお告げのように解釈されていたそうです。
    
♪笹の葉さーらさらー♪七夕の歌。
葉っぱとか、自然のものが、かすかに触れ合って「さやぐ」状態。
神社でお払いをする時も、白い紙をふって「さらさら」ってすると、かすかに音が聴こえます。
笹や竹は有名な例ですが、風と物が触れ合うという自然現象の中に、人は『神様』をみているのだと思います。
     
      
■笹にも種類があります。笹だんごも良い香りですね♪
お酒のこともササと呼ぶそうな…
食糧を保存するのに笹は防腐効果があって重宝されていたみたいです。
       
こんな笹グッズが欲しい。
    
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「笹のれん」なんかは、通るたびに、さささ…と音が聴こえて良さそう。でも毎日とりかえるのは大変か。
「笹湯」もいいですね。笹の香りがする入浴剤ですよ♪ヨコシマな考えを洗い清める聖者の湯。…まずは私が入るべき。(笑
笹枕は、ホッカイロのような形状のものに笹の香りを詰めて、それを枕にセットします。良い香りで気分よく眠れそうです。毎日が七夕みたい☆願い事をしながら眠るのに最適。←ここでもヨコシマな私の願い事は却下されるのであった…。(笑
     
     
花屋さんに榊(さかき)は売られていますが、笹の葉も売ってほしいです。
そうすれば、こんなこともできる。
       
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笹の舞。
「さらさらと葉のこすれる葉ずりの音に、人々はじっと耳を傾けたという。伝説の舞である。」とかいうナレーション付きで踊ります。
    
    
→『笹を考える(2)』に続きます(次回はマジメに書きます…)
        



ジュース・ワールド

Jun 6, 2005


ドクターペッパーをコップに注いで放置。一時間くらいして炭酸が抜けたら、そこに牛乳を入れてみましょう。 → 杏仁豆腐みたいな香りです。
ドクターペッパーって西のほうの方々にはマイナーなようです。「ドクターペッパーって何?」って聞かれることが多い。
    
じゃあ、コアップ・ガラナは?
これは北海道の方がお詳しいかもしれませんね。コアップガラナドリンクは、子供の風邪ぐすりシロップに、かき氷のいちご味シロップを足して…みたいな香りの残るフレーバーです。ひじょうに好き。
摩訶不思議なフレーバーの飲み物ですよ。
ドクターペッパーが好きな方には気に入っていただけると思います。
そして50代くらいの方にとっては懐かしい味だと思います。
     
かぎりなく怪しいといえば、『マタタビ・ジュース』。
子供のころ、なぜか家にマタタビジュースの缶がいっぱいあって、すっごく怖かった。なんでそんなものが家にゴロゴロしていたのか今でも不明。
缶にオコジョみたいな絵があって、それがよけいに気味悪いんですよ。このジュースが、そのオコジョのエキスみたいに見えてくる。うちに遊びに来た友達に見せたら「このオコジョ何? っつーか、マタタビって何よ!?」って本気で気持ち悪がられて恥ずかしい思いをしました。
猫の好物ということで、かつおぶしみたいなものかと思っていたけど、植物なんですよね。薬にもなるとか。本物のマタタビを食したことがないので実物の味はわかりませんが、このマタタビジュースは・・・
干しイモみたいな味だったように記憶しています。     
     
怪しいドリンク話ではなかった、記号フレーバーの話であった。
最近のカルピスの中で好きになったのは、バナナ・カルピスでした。
あのフレーバー!
もろにハリケーンだ…。歯医者の麻酔の味ね。子供だましのようなバナナ記号フレーバーだったけれど、不思議とサッパリしていて飲みやすい。スゴ腕ですね。
話がそれますが、ハヤシライスを作っていて、もしも味がまとまらなかったりトゲトゲしてしまった時は、それを煮ている鍋の中に、いちごカルピス(他、ベリー系のカルピス)の原液を数滴入れるだけでグンと解りやすい味になる。お子ちゃま味のハヤシなり。ほんの数滴なのにすごい威力だ。スパイス風味すら踏み倒すほどのマット感がありますので入れ過ぎは禁物です。それとかカルピスの原液でドレッシングなんかも簡単にできちゃう。サウザンアイランド味を真似します。ドレッシングにばかり気を取られて、肝心の野菜はどうでもよくなってしまうな…。タルタルソースもね。エビフライよりタルタルソース作るほうが楽しい。料理って面倒だし、揚げ物も面倒だから、パンの耳をこんがり焼いて、それにカニ缶とタルタルソース乗っけて食べりゃあいいじゃん、ていう横着者です。カニじゃなくてエビなんだけど・・・
『紅茶が香るカルピス』は、たしかに紅茶は香るんだけど、逆にカルピスの香りが出にくくなってしまっているのがちょっと…。ダージリンとかレモンティーを思い出すフレーバーです。
しかし甘すぎる。これをさらに水で割らないと飲めません。
     
乳酸菌&レモンといえば・・・
『ハイレモン』(ヨーグレットの仲間)の味は、子供のころ食べたきりだけど、なぜか思い出す…
パイナップルの香りだという某フレグランスを見かけて、嗅いでみたら、トップノートはたしかにパイナップルの香りなんだけど、ミドルノートあたりがハイレモンの香りで、たまげました。
     
『JAZZ IN 』ていう紅茶味のドリンクを覚えていらっしゃいますか?
友達が、「むかしジャズインが大好きだったんだよ…」と言っていて、そういえばジャズインてローズ様のフレーバーだったのではないか?と思い、手持ちの範囲ですが香料をごにょごにょ混ぜてみました。
紅茶とローズというのは、香りがひじょうに近いです。親戚のような。
ジャズインの場合は、マスカットのようなフルーティーさのあるバラの香りに近かったように記憶しています。紅茶独特の渋みなどはほとんど感じられない。
どんなに香り豊かな紅茶でも、お茶として淹れると若干渋みのようなものが出てしまいますよね。飲むとそれが舌に残ります。もしもそれをカットしたいのなら、砂糖水(水+ガムシロップ)にフレーバーを加えて、紅茶らしい色に着色すればいいんじゃないの? そうすれば渋みを避けられるんじゃないの?という素朴な疑問が頭をよぎりました。でもそうなったら、それはもう紅茶という枠をはみ出しているのかもしれません。
ジャズインは、そして微炭酸でした。上のこの↑「水」の部分を硬水にすればいいのかな…
しかし私も素人だ。できあがった香りが、飴の『黄金糖』みたいな、おっとりした香りではありませぬか。もっとシャレた香りにしたかったんだが…。黄金糖って二色あって、茶色のほうはすごく美味しいけど、黄色のほうはただ甘いだけっていうか・・・あんまり人気なさげ。で、今回の香りはその黄色のほうに似てしまった。
まるでパンチの効かない、縁取りのない香りです。もうちょっとシトラス様の香りを足すなどして、香りをある程度「囲う」ようにしないと、アメーバーみたいにデロデロと広がっちゃって際限がない。
フレーバーの場合は、香りだけでなく、砂糖の甘味、舌で感じる「味」があるから、そこでグンと底上げされますね。
     
           
メロンの季節・・・
いろんな合成香料がフルーツの香りに役立っていますが、甘くグリーン様のまるでメロンのような合成香料があって、その名前が、
『メロニア』
っていうんですって! キャワ!! かわいい名前だなあ。そんなキャワ娘香料に、ぜひお目にかかってみたいです。←ひとり勝手に「メロンのためいき♪」みたいなイメージ抱いてます。
     
     



かぶり問題

Apr 10, 2005


他人と同じ香水を使うということに関して、おたよりをいただきました。
自分の使っているフレグランスと同じ商品を他人も使っている、俗に言う「かぶる」ってやつです。それを自分はどう思うか。
ライバルと同じ香水を使うのは嫌だ、といったような話題で以前たしか書いたことがありました。それが周囲の人である場合はどうなのか。(「ライバル」っていう発想は肌に合わないから実は大嫌いですけど)
     
《以下、一部引用》       
香りってアクセサリーや洋服と違ってものすごくパーソナルなものだから、(私は)他人とかぶるのがすごく嫌なんです。
ささもとさんは他の人と香りがかぶるのは嫌ですか? それとも平気ですか?
しゃんしゃんTVの読者さんもどう思っていらっしゃるのかとても興味があります。
とにかく私は流行が大嫌いでひたすら避けます。
なにしろ私は自分が他人と同じなのは許せないという性格なので他人が真似をするというのが理解できないんですよね。《以上》
   
   
■私は平気です。あまり真似された経験はありませんが、おそらく平気だと思います。
でもたしかに、香りはとてもパーソナルなものですね。
人とカブった経験があまりないのですが、どうかな、私だったら逆に嬉しいかなあ? 真似されたとしたら優越感のようなものを感じると思います。(ゆがんでますか?) 自分の使ってる香りを、他人が「いいなあ」ってうらやましがってくれたら優越感ですよねー。だけど私の大好きなフレグランスを他人が、しかも同世代の人たちが使いたがるなんてことは、まず起こりえないかと思われます。
私が気に入ったものって、あっけなく廃盤になってしまったりすることが多かったりするし。それはそれで悲しいものですよ。
連載している『香々パピルス』で書いたことがありますが、香りの商品化に関して舵取りをする「エバリュエイター」さんていらっしゃいますよね。ああいう人ってすごいなあと思う。もしも私がエバリュエイターだったとしたら大変なことになりますね。逆に私の選ばなかった香りを商品化すれば成功するんじゃないかっていう。
     
私としましては、他人様はどうでもいいです。言い方は雑ですけど。あまり目には入りません。
好きなフレグランスと出会えたらそれを末永く使いたいと思うので、むしろその商品をたくさんの人が買って売上が上がれば自分もずっとお店で安定して買えるから助かるやー。ってな感じ。
それだけ、大好きだった香りの製造中止には泣いてきました。
     
・・・ですが、
すでに廃盤になってしまった商品で、どうしても大好きなものがいくつもありますが、・・・これは極秘にしてますね。一番好きなのなんて誰にも言ってない。言うもんか。(笑
これはもう、残った数量を誰がどれだけシェアするかっていう、きわめて厳しい状況だから。私としては、自分が使う分だけあれば充分ですけど、中には一人で大量に買占めする人がいるんですよね。で、またそれを他人に高い値段で売りつけたりする人がいる。だから言いません。
雑誌で、自分の好きな廃盤商品のことを「○○っていう香水が昔あって、すごく好きでした」とか言ってる人がいると、「うわっ!やめろ言わないでくれ!」って雑誌に向かって怒鳴ってる。特に芸能人とかはファンにあたえる影響が大きいから。
    
     
■香水を紹介するような気分で、そのとき自分がつけている香りを友達にも貸してあげたりすることはよくあります。それで友達が気に入って、次に会った時にその香水を買ってつけてきた友達はたくさんいます。これは嬉しい。相手の好きな香りをズバリ言い当てたような気分で。
そういうフレグランスは、たいてい他の所でもそれをつけている人がゴロゴロいて・・・ポールスミスとか、DNKYとか、その程度だから、私が紹介するまでもなく流行しているので、嫉妬とかそういうことはありません(これくらいじゃ嫉妬する権利もないしね)。光栄です。
私がつけていたのをうらやましく思ったのではなくて、ただ、きっかけとして私がたまたま使っていたフレグランスを友達に貸してつけさせてあげたら気に入っただけのことなので、「真似された」というまでには到りませんよね。
恋敵ともいうべき女の人と示し合わせて「同じ香水つけようよ」って約束したことあったなぁそういえば。なんでそんなことをしようと思ったのか忘れちゃったけど。
   
     
■あ! 私、真似してるわ!
美人さんの友達がいるんですけど、いっつも電話かけて「最近、何(の香水)使ってる?」とか「シャンプー何使ってる?」とか質問ばかりして必ず真似してました。セクハラ尋問してごめんなさい。真似したことも謝ります。でも今度また教えてください。…ダメだ、やめられん!
     
よく行くプールでいつも会う人がいるんですけど、彼女が私の香水をとてもうらやましがってくれて、なんか気分よかったんで、そのまま香水あげちゃいました。(笑
それはまあ直接自分とは関係のない人だから、真似されるとかそういう問題でもないか。
   
   
■しかしながら会社のように毎日足をはこぶ場所で自分の香りが広がってしまったとしたら、ちょっと厄介かも。自分の香りを社内の他人が使いだしたら(…ありえない仮定ですが)、その人の匂いですぐにその香水にも飽きてしまうと思う。そうしたら、すみやかに他のに変えます。すれ違ったりとか、しょっちゅう顔を合わせるくらい近くにいる人から自分と同じ香りがしたら落ち着かなさそうだから、私は他のに変えちゃうと思う。
毎日顔を合わせる人「以外」だったら、べつに平気です。
   
もしも社内で流行してしまったとしたら、自分は他のに変えて、また真似されたら、また別のに変える。そうします。・・・そこまで私が真似されるなんてのは確率としてもかなり低すぎる話ですね。
     
 まるでイタチごっこのように、
 そこまで追いまわされたなら、
 それは冥利に尽きるってもんさ。
     
三段書きにした理由は特にありません。こうして書くと何かの標語みたいだ。「あぶないよ、頭と頭がごっつんこ」、何が言いたいんだかわからない標語。
「あぶないよ、真似され真似されごっつんこ」…香水を真似され続けると、いつかごっつんこになっちゃうぞ、っていう感じの。
すみません。
            
おたよりを下さったこの女性は、おそらく周囲の女性から憧れられている、つまりモテているのだと思います。



Jan 5, 2004


新春エッセイ。
最近私のまわり(限定)で話題になっている「声」について。  
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 幼いころ、「嗅ぐ」ことよりも「聴く」ことのほうが得意だった。どうして救急車のサイレンは自分の横を通り過ぎた瞬間から音程がずれだすのだろう。どうしてウグイスの声はあんなに遠くまでとどくのだろう。自動ドアの開閉音には音程があるのに引きドアを閉める音は音程が見えにくいのはなぜだ。いなかのおばあちゃんが「え」という母音を「い」と発音するのはなぜなんだ。そして、入れ歯のおばあちゃんがたくあんを噛み切る音が大好きでうらやましかった。
 そういった音すべてが気になって気になってしょうがなかったし、そう聞こえるのはもしかしたら自分だけなのかもしれないから確認したく、いつも誰か大人を見つけてはしつこく訊いてばかりいたような気がする。
 なかでも人の声に関しては、もう、ずうううっと、質問攻め。「おじさんは子供のころどんな声だった?」「あたしは将来どういう声になるの?」。
 訊かれた大人側も困っただろうが、それにしても大人の話の退屈さといったらなかった。「そんなことより、やまびこがどうして返ってくるか知ってる?」だって。つまんないよー。そんなのは全然フシギじゃないからどうでもよくて、そんなことよりか、おじさんがいつからそういう声になったのか、そしていなかのおばあちゃんの発音の起源、そういうことのほうがよっぽど重大。それが知りたいんだ。全国のおばあちゃんたちに五十音を順番に言ってもらってそれを聴いてみたいと思っていた。
 あのころ、人の話は内容を理解して記憶するのではなく、声そのものをまるごとそっくり記憶していたようにも思う。
   
 ひとが、声を発する寸前にもれる微声と、のばしたときの声に、とくに興味がある。
  
  
 ヒカシューの巻上公一さんは、「声」に関する本を書かれている。読んでいて文章のスマート美に見とれてしまうが、そのことに関しては今回は置いておくとして、ひとまず声だ。
 かなり前だが巻上さんのステージを観たことがあった。声による表現である。ホーミー(あるいはホーメイ)という倍音唱法や口琴、そのほかにも、言葉での言いまわしがむずかしいような音を、すべて声で表現されていた。
 どれもこれもはじめて耳にする声ばかりだった。声の一語で片付けてしまっては不足だと思う。巻上さんのからだの「結果」であり、骨など全身のあちこちに響きながら出てくる音。竜巻きのごとく発生する音だ。
 幼い頃の自分にもこのステージを見せてやりたかった。きっと泣いて喜んだはずだ。   
 弦楽器でなくとも、肉声でも倍音が出せるとは知らなかった。あまりの驚きにまばたきも忘れ、自分の耳が変になったかと疑ったほどだ。
 けれど驚きながらもどこかのんきに、(蕎麦屋の)神田『薮』を思い出していた私なのであった。あの店の店員さんたちの声も独特だ。客の注文を厨房へ伝えるときの声。百人一首を読みあげるように雅びやかな声で朗々と注文を通すが、たまにそれが念仏のような低くうなる声にも聞こえる。あの注文声もこのホーミーでやったら良いのではないか。そんなわけのわからないことまで考え、頭は混乱していた。(※ちなみに日本でホーミーのできる人はごく少数だそうです)
    
  
 自分の住む地域から遠く離れた地方の方言や、外国語を耳にする経験が積もれば積もるほど、いかに自分が口先だけで平坦に発声しているかを思い知らされる。
 もっと色あざやかに声を出せるようになりたい。もっと広々と声を解放してやりたい。湧き出る泉のように力強く美しく発声してみたい。
 けれど、どんなに自由に歌ったり話せたとしてもまだ解放したりないような気がしてしまうのは、やっぱり巻上さんの声を拝見してしまったからだ。あの自由さが自分自身のなかにあったらどんなに気持ちが良いだろうかと渇望してしまうのである。そうなるとドレミ音階の枠までをも窮屈がらずにはいられないが、そう言ってこだわってばかりもいられないので、できるかぎりの対応をしていこうと思う。
 年々、声も老いてゆく。それも含めての、できるかぎりの対応。あれこれ大変だ。
   
 ひとの声と、自分の声と。それを聴くバランスに気をつけたいと思っている最近である。
 人を惹きつけてやまない美声の人や、なんとなく心地よく聴きほれてしまう声など、もってうまれた声の質というものはあるけれど、ひとの声そのものに興味があるからとりあえずはどんな人の声でも聴いてみたい。それと同時に、自分の声も解放しながらも律していきたい。

  



グラビアと美肌

Sep 3, 2003


なぜ、うちにはこんなにたくさんのグラビア誌があるのだろうか・・・。
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 思春期ごろかな、それよりももっと早い時期だかったのかな、気づいたら目の下のあたりにちょこちょこと「そばかす」ができてて。べつに気にしてなかったんだけど、キャンディキャンディが「♪そばかすなんて気にしないわ」って歌ってるということは、つまり本来ならば気にすべきことなんだな、と思ったりもした。今はもうどうでもいい。こんなもの。あったってなくたって、どっちだっていい。
 おなじくそのころ『平凡』で荻野目洋子さんの顔写真を見て、そばかすのあるアイドルもいるんだなあと思った。それから徐々に、そばかす人口は意外に多いのだということを知っていった。
 井上晴美嬢などは(彼女が18歳のころ)チャームポイントのところに「そばかす」と書くほどのアピールぶりだったけれど、どちらかというと彼女は細長くて透き通った「ツメ」のほうが素敵だった。だからむしろそっちをチャームポイントに挙げるべきだったのかもしれない。私が言うことでもないが。
  
 グラビア、美肌、とくればこの人でしょう。
 かとうれいこ様。
 10数年前、彼女はグラビア誌(男性誌)の表紙に頻繁に登場する人気ぶりで、当時は「グラビア界一の美肌」とも紹介されていたから、私なんかは彼女の肌をみて、こういう肌を美肌というのだな、と逆に知ったという。
 それでその雑誌なんだけど、表紙をめくるといきなりドデカく、れいこ様の顔面ドアップのお写真がバーンと載ってて、正直ハラハラした。おそらくその写真はかぎりなく無修正に近い仕上げだったと思うんだけど、そのせいで毛穴とか細かいプツプツが見えてしまっていたから、なんだか申し訳なくって。こっちはトクしたけど、そっち的にはOKなの?損してない?みたいな。
 でもうれしかった。美肌といわれる彼女だって人間だもの、そりゃあ細かいプツプツくらいあるさ。そう思えたことがうれしかった。
 不思議なことに、グラビアの女性たちの肌質が印象に残っているのは、みなオイリー肌の人ばかりなのだった。高橋由美子さんは眉間のあたりによくニキビの群をつくって肌荒れしてたなあ〜とか。あとは「肌の色」もわりと記憶に残っている。本田理沙さんは本当に色白だったなあ〜とか。とまあ、そういったことは比較的はっきり覚えているのだけれど、○○さんの肌はきれいだったなあ〜といった類いの記憶はひとつもない。それが自分でも不思議なのだ。かとうれいこさんをはじめ、きれいな肌の人はたくさんいたはずなのに。
  
  
 今回なぜ美肌について書いたかというと、精製水が肌に良いらしいという話をある方に教えてもらったのを機に、関連性のある掲示板を見ていたからなのである。
 掲示板を見てるとみんなスキンケアについて熱っぽく語ってる。どさくさにまぎれて自慢してるやつもいたり、とにかくいろんな人がいる。ちなみに精製水はなかなか良い感触だった。
 スキンケア、スキンケア…って大騒ぎして、それしか考えることないのかよ。そう思う人もいるかもしれない。私もときどき周囲を見ててそう思う。だけど時として、女性の肌というものがその人自身の知性のバロメーターのようにも思える。もって生まれた肌の素質はあるものの、そこからいかに上手にころがしてゆくか、日々老いていく肌を目の前にどうやって時間かせぎをするか、食生活や精神面でのバランスも大事だろう、それらすべての問題に知性がからんでくる。すべてが肌に出る。だから美肌を手に入れることにムキになる女性がたくさんいるのだと思う。当然ながら客観性・冷静さに欠ける人は、あれこれ話題のコスメに飛びついてばかりいる分だけ失敗の数も増えることになると思う。
 
 自分自身の経験だけに限定して考えてみると、本当に肌のきれいな人に対しては、そうそう簡単には「肌がきれいですね」と言えない場合が多い。なんか恐れ多くて。手のきれいな人には「きれいな手だね〜!」っておもわず言っちゃうけど、肌のきれいな人に「お肌がきれいですね」というのと、顔のきれいな人に「美人ですね」は、なかなか言いづらいものがある。どうも照れちゃってだめだ。そういう言葉をすんなり言えるような人になりたいのだが、これがなかなかむつかしい。最悪なのは、言ってるこっちが照れちゃって相手も恥ずかしくなっちゃうパターン。これがいちばんいけない。
 きれいな肌になる方法ならどこにでも情報がころがっているけど、肌のきれいな人をうまくほめる方法はどこで勉強したらよいものか。それが気になる今日このごろである。



香料かるた

Aug 13, 2003


しゃんしゃん企画室『こんなので遊びたい』シリーズ!
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 ところで、みなさまにとって「n-decanal」などの用語はどのあたりに位置しているのだろうか。本来ならばこんなことは「アルデヒド」の文章を書く前に考えるべきだったのだが、「化学は苦手です」というおたよりをいただいて初めて気づいたバカな私をどうか許してほしい。
 ちなみに私も化学は…というか「化学も」成績が悪かったと白状すべきか。とてもおそろしいことに、私は、けっこう頑張ってテスト勉強をしたにもかかわらず、化学のテストで9点をとったことがある。どーだまいったか。だって先生のしゃべってる言葉も教科書の文章もテスト問題も、ぜ〜んぶ意味わかんなかったんだもーん。しょーがないじゃーん。バカでーす♪
 さて。そんなみっともない話は放り投げて・・・
 こんな教材はどうだろう。
『香料かるた』
 といっても私が作るわけではない。作らないよ、面倒だから作らないけど、あったいいのになあ〜と思いついてしまったので書かせてほしい。
  
 〜説明しよう〜
A:「読み札」
こちらの表側には、身のまわりのいろんな物(アイテム)が書いてある。たとえば『ローズ(薔薇)』とか『コリアンダー(香菜)』といった感じで、1枚につき1アイテムずつ書かれている。
裏側には、それに含まれる香料名がズラリと書き連ねてある。つまりこれが「正解」というわけだ。
B:「取り札」
こちら側には、「n-decanal」などの物質名が書いてあって、それを100枚くらい、たくさん散らばるようにして置いておく。
 
 ルールは普通のかるたと同じ。だれかがA(読み札)を読み上げて、みんながB(取り札)の中から探して取る。1枚につき1ポイントで、合計得点を競う。
 なお、なかなか取れない場合は、読む人は15秒ほど待ってからゆっくり香料名をひとつずつ読み上げていくので、みんなはそれを聞いてBの中から探して取る。
 普通のかるたと1点だけ違うところは、取ったらその札をまた元の位置に戻すというところ。(カードはたまにかき混ぜる) おてつきはダメ。
  
 たとえば『コリアンダー』と読み上げられたとする。そしたら、「n-decanal」や「Linalool」など、どんどん取っていく。コリアンダーの項が終わって、次に『ローズ』と読み上げられたとする。そこで「Linalool」というカードを取った時に、たしかこれはコリアンダーと共通だったはずだぞ!と感動するしくみになっている。
 それで、B群の中には、「l-Matsutake-ol」などというカードもあって、これはどう見ても「マツタケ」に違いない!と、知らない人でもピンとくるようなチャンスカードもある。小倉百人一首でいうところの『田子の浦に〜』系の超人気カード。「富士の高嶺に〜」だけは誰にも渡さないぜ!みたいな感じで、『マツタケ』と読み上げられるのをひたすら待つ人もいて。
 たまにはイジワルもある。ゆっくり正解の香料を読みあげる際に、n-decanal のことを「アルデヒドC-10」とか読んじゃうというのはどうだ。それを聞いて「n-decanal 」カードを探せるような、そんなたくましい人間にどうせなら育ってほしいじゃないか。スパルタ教育だ。
 
 こんなふうにして遊びながらもいろんなものの共通成分を知っていけば、だんだんと香りの構成が解ってくるようになって、じつに愉快。
 みんなで楽しく香料を覚える教材キット。
「読みまーす。『お豆腐』」・・・・「ハイッ!「n-hexanal」取った!」
 ぜったい楽しいって。



読書台

May 30, 2003


おととい、やっと読書台なるものを買いました。
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 前からずうっと気になっていた読書台。ユザワヤや東急ハンズみたいな店に行っては、いつも横目でチラチラ見ながら通り過ぎる日々だった。それをなんと100円ショップで発見!ということで私は飛びついた。100円ショップもついにここまで来てくれたか。私は商品を抱きしめていた。
 これさえあれば肩まで湯舟につかったまま読書ができる。これさえあればコタツに両手をしまったまま読書ができる。みかんの皮をむきながら読むことだって可能だ。手話をしながらだって読める。手話なんてできないけど。これさえあれば食べたり飲んだりしながら文庫本が読める。さらにこれをたくさん買えば何冊もの本を同時に広げた状態で、その中央にノートを置いて勉強する、な〜んてこともできちゃう。しないけどね。これさえあれば、これさえあれば・・・。なんて素晴らしい道具なんだ!
   
 音楽の譜面のように、本を立てた状態で読むことができるから、図書からの引用などといったパソコンをさわりながら本を見たいときにも便利だ。100円だからプラスチック製だけど、重たい広辞苑を乗せたって余裕余裕。あ、やっぱりちょっと倒れそうになってバキッとひびが入るかもしれない。だけれども、かぎりなく頼もしい。
 100円ショップの店頭に積み上げられているなかで、この商品には何パターンか種類があったのだが、私の頭がよかったのは、何種類かあるそれらの中から、ページを押さえる部分が片方ずつ動かせて、なおかつそれが透明なプラスチックでできているというパターンの商品を選んだことだった。ほんとに頭がよかった。なぜって、両方いっぺんに押さえが外れてしまったらページをめくる時に本が閉じそうになってしまうじゃないか。なぜって、その押さえるところの部品が不透明なほうを選んだら押さえるその部分に当たる文字が隠れてしまって読みづらいじゃないか。レジへ向かう前にそのことに気づいた私は、まずは一回戦を突破したような気分だった。何かある、何かあるぞ罠が。だって100円だもの、きっとなにか欠点があるはずだ。くれぐれも用心して進め。
  
 使いはじめて3日目に突入しようとしているが、今もってまだ欠点が見つからない。それどころか、通常どおり本を手に持って読書する際にも役立つことが判明。とくに文庫本。普通に手に持つとどうしても目が近くなる。少し離そうにも、ひざに本を乗せるというポジショニングじゃ暗いし、私にとってはその距離だとちょっと遠くもあり、見えにくいのだ。そこでこれを目からちょうどよい距離に保つべく、上にあげて読もうとすると今度は腕が疲れる。だから本なんて読まないんだもんねー、と投げ出してしまっていた。
 でもこの台さえあれば! 
 これに本をセットしてそれを手で持てば、目からの距離がちょうどよく腕も疲れない。こりゃすげえ。背もたれのある椅子に坐れば快適快適ラクちんラクちん。
 具体的にどういうことになるのかといえば、椅子に坐ったまま小さなお盆を両手でお行儀よく持ってるような格好だ。ひじが背もたれにピタッとついてるから変に背筋も伸びてちょっとマヌケではある。
 この方法だと、台を直接手で持つのは若干とはいえ不安定さが気になるので、次なる戦法として今度は細長いお盆にこの読書台を乗せて、お盆のほうを手に持って読むことにしてみる。細長いお盆を縦長に持って、その先端に読書台を乗せる。明るい。目からの距離も気持ちいい。これはこれですばらしいんだけれど、だけれども、「両手でお盆を持つような」というのはもはや比喩ではなく本当にお盆を持ってしまっているところがアホなんじゃないのかという横ヤリの声が邪魔して読書に集中できない。正座してこれをやると一段とアホだ。ページをめくるとき、片手じゃできないから、いったん足元の横にお盆を置いた状態にしてページをめくらなきゃならない。旅館の仲居さんみたいに。あるいは茶道の人みたいに。かしこまった足元の横にお盆なんか置いて、いったい私にどうしろっていうんだ。そこで障子でも開閉しろというのか。おいでやす〜。私は何がしたいんだ。
 
 いかんいかん。いかんぞ。読書だ。今度こそ読書だ。集中して本を読む人に生まれ変わるのだ。
 なにはともあれ、テーブルのある所でこの台を使えば本当に本当に便利であるということだけは保証しようではないか。
 カッコつけてるわけじゃないんだけど、私は古畑任三郎が考える時のようなポーズのまま長時間ぼーっとするのが好きだったりするから、この台があれば読書をしながらでもそのポーズがとれるってわけだ。フフフ…いいねえ。「考える人」みたいなポーズをとりながらでも読書ができるっていう寸法。エクセレントだねえ。これ、けっして冗談で言ってるのではありませんよ、本当にああいうポーズをとると体のおさまりが良いのです。
 
 というわけで、私と同じようなポージングを好む人や、500ページもある全集をあやまって湯舟に落としちゃって泣きながら1ページずつアイロンをかけたことのある人には、この読書台がとってもオススメ、ということです。



いい男、いい女、恋愛(2)

Apr 23, 2003


前回から引き続きまして、今回は色恋沙汰でございます。
勝手放題に書いてみました。
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 はっきりいって他人の恋愛話なんて面白くも何ともない。
 べつに私を笑かすために彼らも恋愛してるわけじゃないから、まあそれは当然のことなんだけど、それにしてもつまらなさすぎやしないか。笑える話がちっともありゃしない。
  
 生活面で相手に支えてもらったり、逆に相手の役に立てた時代もあったけど、やっぱりせっかく独身でいるんだからそういうことは恋愛には持ち込まずに、ここはもっと純粋に、甘くコミュニケーションをとりたい。それくらい望んだってバチは当たらないはずだ。
 同棲をして擬似的に家庭を真似てみたところでしょせんそんなものはママゴト以下でしかなく、結婚とは全然別のものなんだし、だったら思いっきり別の家に住んでる空気をお互いにめいっぱい持ち込んで楽しんだほうがトクだ。できるうちにやっておく。
  
 ときには父となり息子となり、また兄であり弟でもある、こんなふうに好きな男性の役どころが目の前でクルクル変化する恋愛は楽しくて嬉しい。1人1役だとどうしても倦怠が生じてしまうけれど、いろんな配役をこなせる男性は何年たっても顔を見てるだけでドキドキする。
「激マブだぜ!」
 などと感謝の1拝みを心の中でできることがどんなに幸福なことか。相手との間柄よりも何よりも、それが最優先だ。
 一生「いい男」を拝みつづけていけたら、こんなに幸せな人生はないと思う。
  
 秘密にする。周囲の者には。
 これも楽しい方法。甘い言葉をささやいてもらえて嬉しかったとか、彼と一緒にどこかへ出かけて楽しかったとか、そういことは周囲の部外者たちには、いっさい、秘密。
 思うんですけど、いわゆる「のろける人」っていうのは、愛が足りないと思う。もしも甘〜い言葉をささやかれて、それに心底感動したとしたら、自分だったら「こんな素敵な言葉をアカの他人に教えてたまるか」という根性になるはずで。私はドケチだから女友達にも絶対に教えてなんかやらない。向こうだって聞きたくもないだろうし。ビニール袋にせっかく空気をためても、そこに穴を開けてしまっては空気が逃げる。もったいない。そんなふうに、女の子どうしで彼氏話を報告しあってばかりいると、あちこちにプスプス穴が開きまくって恋愛テンションもしぼんでしまうような気が…どうしてもしてしまう。強迫観念でしょうか。
  
 女の子と恋愛話になった際にいちばん噛み合ない部分は、「何が幸福なのか」という焦点が定まっていないという点。迷っているとかそれ以前の問題で、その種の発想自体がもともと彼女たちには無いのかもしれない。そのくせ「幸せになりたい」じみた発言ばっかりしてるから聞いててイライラしてくるんだと思う。
 私は、相手を好きでいること自体に幸福感がある。
 とつぜんポエムなことを口走ってしまった。大変失礼いたしました。でもこれが本心なんだから仕方がないじゃないか。相手に何かをしてもらうことももちろん嬉しいけれど、それよりもまず自分が相手のことを根本的に大好きでいられる状態が嬉しくて嬉しくてしょうがないので、安上がりでもある。そのかわり、いくら相手が優しくしてくれても自分の中の相手への愛情が曇りだしたらこれはいよいよ大ゴトだ。不幸はそこからはじまる。なので、そうなったら立ち直れないほどデカいショックを自分から受けるんだってことを覚悟したうえで今を楽しみなさいよ、と自分でいつも横ヤリを入れるようにはしている。
 最終的に相手とこういう関係になりたいとか、相手にこうしてほしいとか、結果や事柄ばかりを追いかけて幸福を探し求めだしてしまったら、それはただループするばかりの大渇望におちいる。一つ一つ今の過程をこまかく楽しめる状態が「幸福」であるとすれば、恋愛においての幸福ももちろん同様で、幸福自体、目的でもなければ見つけるものでもないし、ましてや他人によって発生するものでもない。かけがえのない人と出逢えたという幸福も、その人と出逢うことができた自分自身の才能によるものだと図々しく考えてガシガシ世の中を渡っていくべきだ。女子が「彼に逢えたのは○○ちゃんのおかげ」とか「彼と逢えて、もうこの人しかいない」とかよく口にするのを見るけど、あんまりしみったれないほうがいい。
 こういった話をすると必ず、あんたは運命的な出会いをしてないからそういう冷たいことが言えるんだと女友達に怒られるけど、そうじゃない。運命的な出会いだからこそ、「この人以外でも大丈夫(※もちろん口には出しません)」って自己暗示をかけて強気で突破していかなくちゃダメなんだ。相手と仲良く過ごす時間を一日でも長くのばしたいなら、そのくらいダイナミックにいかなきゃムリだと思う。
 とにかく、しみったれてるのが一番だめだ。
「男運が悪い」とか「いつもダメな男を好きになってしまう」とか「ひたすら耐える女」とか、そういうしみったれた発想も大ッ嫌い。恥を知れ恥を!と思う。育った環境なども恋人選びに影響するとも言われているけれど、しょせんは自分自身で好きになった男なんだから、そこはちゃんと責任をもつべきだ。そこで腹をくくらないでグズグズ言うのは、自己に目をそむけることになる。
 何事においても自己責任な人が私は好きで、そういう女の子とはとっても話が合うから何時間色恋談義をしていても飽きない。
 
 とはいえ、人の話は聞かない。聞いたらその場で忘れる。
 これは長期的な取り組みでもあるけれど、人の恋愛話は聞き流すぐらいでちょうどよいと思う。今は深夜ですから、私もノリにノッちゃってまして、画家がキャンバスに絵筆をたたきつけるかのごとく荒々しく文章を書いてますけれども、一晩明けて事態が悪転すればフトンから出られないぐらい貧弱になることだってある。とにかく自分は失敗の嵐。だけど他人の失敗談にならって自分は失敗しないようにしよう、という考えを持ったとたんに色恋は色あせる。だから自分で直接体験したことしか信用しないようにしている。
 人の話を聴いて、疑似体験的に耳だけが先行しちゃうという状態は極力避けるべきだと思う。そればっかりやってると、失敗がとてつもなく恐ろしいものに見えてきて自分自身どんどん動きが鈍くなっていく危険性もあるから。
 
 めざすは体育会系的恋愛。
 好きな人とうまくいかなると憂鬱だ。
「ぜったい昨日一晩で体のどっかにガンができたにちがいない!」
 そう思うほど体に悪影響だから、きっと私は長生きできないだろうといつも心配になるけど、でもやっぱり体験しかコミニュケーションを知るすべはないのだという覚悟が不可欠だ。
 体験は体験として、うれしいことも悲しいことも自分の身体にたたきこんでいくぐらいの心意気で挑んで、そこではじめて恋愛ができるんだと私は思っている。



いい男、いい女、恋愛(1)

Apr 22, 2003


※「いい女論、いい男論、恋愛論」が読みたい、というご意見を頂戴しました。ご意見どうもありがとうございます。せっかくなので、私のこの醜い本性をぶちまけて書いてみたいと思います。(2回に分けて掲載)
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 いい男。これについては香々庭園(第1回目「アラミス」)でもちらりと書いた。「言葉が足りない男は苦手だ」と書いたことへの補足という形をとらせていただくと、じゃあそもそもその「言葉」ってのは何なんだ?ということになりましょうか。
 具体例を挙げます。
 別れ際、「じゃあね〜バイバイ」だけの男は言葉が足りない、ということになり、「雨降ってるから気をつけて帰ってね。それじゃあね」と言ってくれる男は言葉が足りててカッコイイ!と。たったそれだけのこと。ほんのささいなことだけれど、こういう言葉がすんなり出てくる人はかなり貴重な存在だと思う。こういう人を見たら、まず尊敬する。そして頭を下げる。
 こういう「いい男」の場合、家を訪問したときも、ただ「いらっしゃいませ」的な挨拶だけじゃなくて、そこに「外、寒かったでしょう」とか付け加えてくれちゃったりする。
 なんてかっこいいんだ…。
 こういったやりとりは年寄りっぽい言葉だから世代によって大きく左右されてしまうのかもしれないけれど、そのハンディを乗り越えて、まだ30代〜40代くらいの男性が言っているのを見ると「かっこいいぜ!」としびれる。他の部分がハチャメチャであっても、それすらも相殺される…かもしれない。いや、ムリだな。若干はみ出るか。でも冗談抜きで、こういった真心のある一言にはお賽銭1000円をあげたい。心の中で手をあわせ、いつも私は拝んでおります…。
 あとは、こまめに名前を呼んでくれる人。
 ねえ、キミ、おまえ、とかじゃなくて、ちゃんと名前で呼んでくれる人は、きちんとしていそうな印象を受ける。これは感覚的な部分も多少あるので強くは決めつけられないけれども、なんとなく自分にはそう感じられる、ということで。
  
 続きまして、いい女。これは自分が女であるだけに恥ずかしくて書きにくいのですが、自分のことは棚に上げて書かせていただきます。
 本分をわきまえる、というのが第一条件かと思う。
 社会人の女性であれば、仕事熱心という言葉にも置きかえが可能だ。最近では、いろんなたくさんのことにチャレンジする活動的な女性が増えつつあるけれども、自分の好みでいえば、1本の道をまっしぐらに進むひたむきな女性のほうが好感度は高い。ひとつのことに、ねばり強く、じっくりと取り組む姿がいちばんうつくしいと思う。主婦業、会社員、それぞれその道のプロであることに誇りを持っている女性のかっこよさに私は見とれる。
 第二に、「構え」がしっかりしている女性。くずれない人。
 恋人がいるときも、いないときも、仕事がうまくいってるときも不調なときも、大幅に乱れることなく、きわめて安定している人は大尊敬。これは本当に難しい技だと思うから。これについては「心と身体ともに自己管理が徹底している」と置きかえが可能かと思う。
 恋人ができると友達そっちのけで彼氏ベッタリのくせに、フラれると友達のもとへ泣きつきに戻ってきたり他人の幸せを妬んだりする女は安っぽすぎるので問題外として、それ以外に人間関係全般においていえることだけど、急接近してきたり、プイッとそっぽを向いて離れて遠くへいってしまったり、そうやって距離のとり方に波のある女性はひじょうに苦手。大嫌い。
 コンスタントで気性の頑丈な人が理想的。そういう女性は客観性も発達してるから付き合いやすい。これは第一条件もからんでくる。結局どんな仕事であれ、職業という基盤が自分の中にしっかりとある人は、そこに重心がいくから何事も好循環なのだろうと思う。人間関係においても、そういった部分を総合的に考えてバランスよく頭をつかえる女性が、私の中では「いい女」として輝いている。
  
あとは・・・
「気っ風がいい」「金づかいが豪快(荒い)」「何歳になっても声がかわいい」というのも超個人的な趣味として1票入れさせて下さい…。
   
   
※次回「色恋沙汰」へ続く・・・
シリーズ化してみたのです。それでは明晩お会いしましょう…



男の桜のにおい

Mar 20, 2003


男の人の背中がまばゆくてしかたがないのは、おそらく『遠山の金さん』のせいだ。
仮面ライダーよりもブルース・リーよりも、金さんだった。こんなに強くて迫力のある人が私の家族にいてくれたらどれほど安心して人生を送ることができるだろうかと真剣に憧れたものだ。どうにかして金さんの人生に自分も関わりたかった。
 
私の世代だと、やっぱり杉良。松方バージョンはちょっといただけなかった。そのころたまたま別の番組で松方氏を見かけたのだが、あろうことか彼はウイスキー色のサングラスをかけていたのだ。家族みんなで笑いつつ幻滅した。
「なんか現代風でやんの」
松方にとっては、しょせん金さんもビジネスの一部であり、真の姿はサングラスなのだ。やっぱり私は杉良がいい。“仕事”は力強く、荒っぽくて誰にも負けやしない。のど仏も素敵な杉良。
 
金さんが、ここぞというところで桜吹雪を見せる場面は、毎度いちいち衝撃的だった。おかげで後々まで男の人の背中というものが決定打になってしまうんだから刷り込みってやつはおそろしい。
金さんを観ていた当時から不思議に感じていたことは、あの桜吹雪を見ていると桜もちの香りを連想することであった。色だろうか。食べたらおいしそうだ。もちろんそれが間違っていることぐらいは私もバカじゃないんで知ってましたけれどもね。それなのに祖父は奇妙な相づちをうつから困った人だ。
「ねえねえ金さんて桜もちの味するの?」とテレビを指さして訊いた私に、
「おっ、すごい! 物知りだなぁ!」と驚いてみせる。んなアホな。祖父のすっとぼけはいつものことなので、きっとこれも嘘だろうと思った。というか金さんが桜もちの味がするわけがないと知っていたので、嘘だと思った。
わかりきっていることなのにいちいち質問して、いったいあのときの私は何をどうしたかったというのだろう。まあ、ほんの子供の気まぐれだ。
 
おなじころ、父と出かけたある場所で、桜吹雪らしき背中の男性を見た。いったい私と父はどこへ出かけたのか、そんな別の心配もあるが、それはそのまま置いておこう。とにかく見たのだ。桜吹雪を。テレビで見るのとは少し色がちがう。でもきれいだ。…まさかそんなことはないとは思うが一応父にも質問しておいたほうが後悔せずにすみそうだと思い、あの人は金さんなのか、もしくは金さんがらみの人なのか、きいてみた。質問を受けた父はごく普通に、自然な感じでこう答えた。
「ちがう」
どして?とこれまた一応くいさがる。またもや父は普通に答えた。
「だって顔が違うだろう」
あ、そっか、と思った。でもそれからしばらくしても、「違うにしたって、せめて桜もちの香りぐらいしたっていいじゃないか!」と私は思いこんでいて、弟にも「金さんて桜もちのにおいがするんだよ」と教えたりしていた。子供の思考回路は奇妙だ。弟は「うん」とあっさり納得してたけど。「うん」じゃないだろう、アホかおまえは。
 
ひなまつりに桜もちを食べるのはまちがいだ、という感覚が今でもずっと残ったままである。桜もちは男の人の背中だ。女の子のおまつりの日に食べるなんて言語道断。ひなまつりを見送ってからでなければ食べてはならぬ。それでも食べ進むごとに申し訳なさでいっぱいになる。とくにあの葉っぱのしょっぱさに触れたとき。得体の知れない罪悪感がわき上がってくる。葉脈が口に残って食べづらいのは、女である私が桜もちを安易に食べようとした罰なのではないか。
 
意味不明なことを言ってやがると思われついでだ。書いちまえ。
「花見の季節ですが、私は金さんの“桜吹雪”を見ながらお酒が飲みたいです」